タイトルから終活に関係ないと思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
この記事を書こうと思ったのは、終活の生前整理にもつながる話だと私の実際の経験を書いています。
在宅介護の経験
私は祖父母の在宅介護を経験しました。
年齢を重ねた今だから話せることもあり、今こちらの記事をご覧になった方のなかにも、介護を実際にされている方もいらっしゃるかもしれませんよね。
もしあなたが介護をされているなら「ほどほどの気持ちで、ご自身も大切にしてくださいね」少しでも心が軽くなりますように。
介護をされていない方は、介護とはこんなことなのかと想像ができるかと思います。
介護の始まりと仕事
独り暮らしをしていたのですが、母がこれから大変になっていくだろうと想定し、家に戻り祖父母と同居し実際の介護は27歳くらいから始まりました。
この時期、まだ介護は社会にあまり認知されていなかったので当然周りの理解も少ない時でした。
母は女手ひとつで育ててくれたので、一般の家庭でいえば母は大黒柱です。
私がこの時期の仕事は派遣を選び、何かあれば私がいつでも仕事を休めるような環境にしていました。
派遣先には申し訳ないですが、その頃は「よくお休みする派遣さんだな」と思われていたでしょう。
最後まで何とか2人を看取りましたが、本当に大変でした。
今でも介護を苦に親を殺し、本人も自殺なんてニュースは他人事ではなく感じます。
もちろん人を殺めるなどはいけませんが、「殺してしまう」「自分も死ぬ」そのくらいに気持ちが、自分が追い詰められてしまうという気持ちは痛いほどによくわかります。
介護認定
介護がはじまる前に、介護認定が必要なので色々立ち合いました。
何かと家族の立ち合いが必要なので、派遣で良かったとつくづく思いました。
家族の立ち合いは、私が立ち会うことが多くケアマネジャーとも打ち合わせを何度もしました。
その後、ヘルパーさん数人が家に出入りをするのですが、当たり前なのですが、私と母は仕事で平日いないので、その間の手助けのために来てもらえるのですが、心境は微妙です。
心境が微妙というのは、自分が留守の間に他人が何人も家に出入りするというのは信用問題ですが気持ち的にも不安でした。
救急車
何度、救急車に乗って病院に付き添ったか覚えていませんが、仕事から帰る母とすれ違いで私が病院に付き添い、その場で帰れる時もありましたが、そのまま入院ということが何度もありました。
今でも救急車のサイレンを聞くと思い出します。
鈍い音
経験者の方はわかると思いますが、家のなかで人が倒れる鈍い音に敏感になりました。
夜、寝ていても「あの鈍い音」がすると駆けつけ、起こしてベットに寝かせる。
毎日ではありませんが、この鈍い音に敏感でいないといけないので、家る間は常に気が休まらないのです。
ニオイ問題
まず仕事から疲れて帰ると、家のなかが独特なニオイが待ち受けています。
高齢なので加齢臭やら、排せつの問題もあり色々なニオイが混ざりあい、独特なニオイになるのです。
排せつの問題は、オムツもあり使用していましたが、当時は種類も少なく、値段が高い!
トイレ事情は消耗品なのでキリがないですし、オムツは本人も嫌がり何度となく敷布団に漏らしてしまい、始めは敷布団を換えたり、干したり色々しますがしみ込んだニオイはなかなかとれないです。
私がいる時は、本人も気持ちが悪いだろうとシャワーで洗って拭いて、着替えさせたりしましたが、着替えたその場でまた漏らしてしまう・・・。
本人の意思じゃないことは、わかってるんですよ。
でも実際に「もう着替え足りない」「オムツも残り少ない」「布団は濡れてる」発狂寸前でした。
仕事で疲れ果てながらも、母と夜中にホームセンターまで歩いて介護用のオムツを買いに行ったのを覚えています。
ただ「いつまで続くんだろう・・・」という不安と疲れから、お互いに口数も少なくなりました。
介護疲れ
介護のはじめは気合で乗り切れますが、だんだんに精神がまいってきます。
ちなみに、私は途中から「これは仕事だ」と気持ちを切り替えました。
仕事と思えば、少しは気持ちが割り切れるかと思い気持ちを保ちましたが、厳しかったです。
育児は子供の成長があるので、計画も立てられますが、介護はいつまでこの状態がつづくのだろうかと経済的にも自分自身も不安でたまらなかったです。
祖父母は無保険で途中で知りましたが年金も未納期間があり、経済面はほぼ母が面倒を見ていたので、懸命に働いても垂れ流されるようにお金が出ていく状態だったのです。
本気で死ぬ気はないのですが、たまに自分がふわっと逝ってしまいそうな、今思えばあの時は軽いうつ状態だったのでは?と思います。
ですから周りに介護をされてる人がいると、話を聞いてあげたり「ほどほどの気持ちで、ご自身も大切にしてくださいね」としか声をかけられません。
入院
祖母は家で亡くなりましたが、1年後に祖父は入院先で数日後に亡くなりました。
祖父の時は家で転倒し骨折で入院したのですが、最後は誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)で亡くなりました。
仕事をしながら、日常で肉体的にも精神的にもダメージを受けているなか、今回の入院。
看護婦長さんから「なんでこんなになるまで、ほっといたんですか?」など責められました。
というか、私の方が驚きですよ。
というのも、入院翌日に私一人で病院を訪れた際、祖父は呼吸器のようなものがつけられていて想像以上の悲惨な姿を見て「何で骨折なのに?」と驚いたのと、祖父に何度も声をかけましたが、何か言っているのですが、どうしても聞き取れずに「ごめんね。何言ってるかわからない。」と手を握りしめてから病室を後にしました。
さらに、お医者様からも入院している数日の間に2回ほど呼ばれ、「手術と延命治療はどうしますか?」と言われ、年齢的にも手術は耐えられないだろうと「自然でお願いします」と答えた記憶があります。
病室を出て、一人病院の階段を下りながら人生初!精神的に私自身が本当に崩れ落ちそうでした。
こんな時、妙に「崩れ落ちそう」っていう感覚はこういうことをいうんだなと客観的に思う自分と、「私がしっかりしなきゃ!」「私がしっかりしなきゃ!」と何度も自分に言い聞かせて何とか歩き病院を後にしました。
あんなに苦しそうな状態で、検査、手術なんて無理だろう。
言い方はよくないですが、「もういいんじゃないか」「解放してあげたい」と思いました。
結局、翌々日に病院で亡くなりましたが、あの苦しそうな姿を見たので、悲しいより安心した気持ちがありました。
当時仕事をしながら自分の生活をしながらの介護は「精いっぱいだった」と思っています。
ですが介護を終えた今でも「もっと寄り添う心の余裕があれば結果は違ったのかもしれない」「お医者様に最終確認を答えた私が祖父を殺してしまったのではないか」と思うこともあります。
在宅介護を終えて
亡くなった後には、法的な手続きや、片付けが待っていました。
当時「終活」などという言葉もなかったので、全てイチからの片付けで本当に大変でした。
こちらの終活の他の記事でも生前整理をおすすめしているのは、こういった私的な経験からでもありますが、マイナス的にとらえがちな終活の意味ではなく、前向きな自身のための生前整理をおすすめしています!